赤穂事件

日記

頃は元禄十五年十二月十五日、夜半に大石内蔵助を筆頭とする赤穂四十七士が、主君浅野内匠頭の敵を討つために、江戸は本所松坂町の吉良上野介邸に討ち入り、上野介を首級を主君の墓前に供えたという有名な話。

十四日暁とあるのは、当時の習慣で夜が明けるまでは前日としていたためであり、実際は十五日早朝。

昔はこの時期になると、赤穂浪士の映画や特別番組がテレビで流れたものである。最近はテレビすら見ないから、そういう番組があったのかどうかすら分からないが、耳にすることがなくなった。

正史はともかくとして、色んな逸話が残っており、歴史好きは興味をそそられる。

1.仮名手本忠臣蔵 歌舞伎や浄瑠璃の演目はこうなっているが、別に仮名で書かれているわけではない。四十七士をいろは四十七文字にかけているわけだ。

ウィキペディアにはこう記されている。 寛延元年(1748年)8月、大坂竹本座にて初演。全十一段、二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作。赤穂事件を題材としたもの。通称「忠臣蔵」。 忠臣蔵という演目も忠臣蔵之介にかけてあるわけで、幕府の裁きに対して、真っ向から批判的な内容で演じるわけにはいかず、時代も名前も変えて演じられている。

舞台設定は室町時代。塩冶判官高定というのが浅野内匠頭のことであるが、塩で有名な赤穂の殿様であることが分かるようになっている。その家老は大星由良之助。名前の響きからしても大石内蔵助を想像させる。

2.東海道四谷怪談 鶴屋南北の作で忠臣蔵の外伝という体になっている。

まずお岩が元塩冶藩の武士の娘、亭主である伊右衛門は高師直の家臣伊藤喜兵衛の孫・梅に恋をして、お岩が邪魔になり毒殺する。そこに登場する人間たちの因果が絡み合い、お岩そのものよりその因縁話のほうが恐ろしい。

3.いろは歌の謎 いろはにほへ【と】 ちりぬるをわ【か】 よたれそつね【な】 らむうゐのお【く】 やまけふこえ【て】 あさきゆめみ【し】ゑひもせ【す】 7語ずつ区切っていくと末尾がとかなくてしす、すなわち「咎無くて死す」となる。

これは古くから知られていて、「仮名手本忠臣蔵」というタイトルにはそういう意味も込めてあるとか、大石内蔵助が討ち入る前に、我々もいろは歌のように咎無くて死すことになると言ったとか、諸説あるがそういう意味が込められていろは歌が作られたのか、或いは偶然そうなったのか定かではない。

4.寺坂吉右衛門の謎 寺坂吉右衛門だけは泉岳寺に行っていない。寺坂は吉田兼亮の足軽である。




赤穂藩の人間ではあるが、唯一足軽の身分であり、密命を帯びた説や逃げ出したという説まで、四十六士が正しいのか四十七士が正しいのか、当時から話題に登り、その真偽は分からない。 他にも堀部安兵衛の高田馬場での決闘や、高田郡兵衛の裏切りの一説、話題には事欠かない。

 

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